うそwizardry6

街に着いたのは時計の短針が天辺に差し掛かるであろう時刻*1だった。コーヴァーが城砦の門に近づいただけで、門番はすばやい動きで身を返して錠を外した。
「この者は私の連れだ、一緒に通してくれるか」
「勿論ですとも」
やがてガチャンと一際大きな音がしたかと思うと、巨大な鉄製であろうと思われる扉がゆっくり、観音開きになってゆく。金属同士のこすり合わせる音がやけに大きく、そして胃に響いた。

昼は昼なりににぎわっていた街だったが、夜ともすればその輝きはより一層彩りを増して咲き誇っていた。ネオンこそないが、レンガ造りの軒を連ねた歓楽街はここぞとばかりに光を見せ付け、行きかうものの足を留めさせようと必死に踊り狂っている。人の波と熱気で、身体が火照らされる。いやがおうにもテンションが上がる。異国から来た僕でも、それは同じだった。見たことも経験したこともない光景に、僕の心か、遠い記憶の遺伝子が残っていなければ何の感銘も受けないはずなのだ。だが、溢れんばかりの人と光の洪水を前にして何も感じない人間がいるだろうか。未体験イベントの連続の1日がやっと終わりを告げようとしているのに、まだまだ僕は眠れそうになかった。
「これを預かっている」
その一言で、半ば空想世界に浸っていた僕は自分を取り戻した。コーヴァーが頬を緩ませる。街中でボーっとしながら、よもや危険な面だっただろうな、と僕は少し恥ずかしくなった。
冒険者の身分証明書みたいなものだ。これがないと冒険者の宿も武具屋も利用できん。肌身離さずもっておけ、無くしたら1週間は再発行に手間取る代物だ」
放って投げよこしたその身分証明書とやらには、いつ撮ったのか僕の顔写真が大きく載っていた。サイズも厚みも、ほとんど運転免許証と変わりない。「種族:人間」と当たり前のことが書いてあったり、「性格:N」などと意味不明なものもあり、名前が『あ』なのを見て少しブルーになり、ご丁寧に「レベル1」と書かれているのを見て深く落ち込んだ。

僕は英雄にはなれなかった。

「君は確かに、レベル1の脆弱な戦士だが―」
僕の心を見透かしたかのようなコーヴァーの台詞に、視線が免許証から一気に目の前の冒険者へ移った。彼の目は先ほどまでの穏やかなものではなく、訓練場を出たときの、「あの目」だった。
「君はもう、踏み出してしまったのだ、冒険者として。今より私の言質を持って、君を冒険者と認める。剣を持て。盾を構えよ!目の前に立つ敵は、親でも仇でも刃を向けろ!友を守れ、生きろ!生き抜き、そしてまた友を守るのだ!君が戦士である誇りは、剣だ。盾は自らの身を守るが、剣は仲間の盾となる。これから君は、多くの仲間と同じ時を共有する。危険と隣り合わせのとき、仲間の支えが君の身体と心の支えになる。逆も然り、君が仲間の支えとなるのだ。戦士の君は、剣が、その全てなのだ」
コーヴァーの語気に、待ち行く人々までも足を止め聞き入っている。直接話しかけられている僕はといえば、一語一句にこめられた言霊に全身の毛が逆立つのを覚えた。血液が逆流しそうな感触を覚える。手先がびりびりする。膝が笑いそうになる。腹をすかせた狼の前に置かれた温室育ちの兎になった気分だ。ともすれば、コーヴァーの腰の剣が僕を真っ二つにする勢いだ。怖い。僕は、コーヴァーが戦う同じ戦場に放り込まれ、生き延びられるのだろうか。いや、無理だ。生まれてから手に持ったものが鉛筆→シャープペン→ボールペン→キーボードと来て、次は部下かなー、と思えばいきなり刃物と来ればそりゃベンチャー企業の社長に限らずビックリするだろう。言っておくが、僕が経験した体育会系といえば学校の体育の授業と、中学時代の卓球部くらいだ。中学生でも、ラケットが剣に変わればスライムだって倒そうと思わず家に帰りたいって思うだろう。今の僕がそうだ。

コーヴァーは一息置いて、続ける。額に熱い液体がほとばしるのを感じた。こんな短時間で大量の冷や汗をかいたのは、仕事のへまを田端部長にこってり搾られた時以上だ。
「秋本ハジメ、いや、戦士『あ』よ。ロード・コーヴァーより冒険者としての教訓を授ける。今日は冒険者の宿に止まるのが良いだろう。ただ、木賃宿以上の施設の利用は女を連れ込むとき以外は止めて置くように。無駄に肉体年齢を消耗し、気づいたときには迷宮での体力消耗で若いうちに老衰を迎えるときがある。普段は馬小屋を利用しろ。
もうひとつ、武具屋は商店街の一番北奥、『ボルタック商店』を利用するのがいいだろう。あそこの店主は値は張るが、間違いのない鑑定を行ってくれるし、呪われた品を解除してくれる唯一の人物だ、仲良くしておくに越したことはない。尤も、最近私は利用していないのでまだご健在かは知らぬがな」
覚えることが多すぎて、背広の胸ポケットにいつも忍ばせているメモ帳とボールペンで、コーヴァーの要点を書き込む。ここらへんはサラリーマン流だ。重要なことはとにかくメモ、という悲しい性でもあるが。
「最後に、信頼できて、苦楽を共にできる仲間を見つけろ!こればっかりは、どんなに時間を費やしたってかまわない。それこそ、何十年掛かっても、だ。E属性の連中だって、表向きは利害の損得で動いているが、『信頼』と言うものはまた別だ。ここぞと言うときに助け合わなくて、何が仲間か」
コーヴァーがくい、と顎で向かいの路地の酒場を指した。
「あそこが冒険者の集まるギルガメッシュの酒場だ、料理はイマイチだが安いし思いきり呑めるぞ」と言って掌小の布袋を投げてよこした。受け取ったときの感触と金属音で、中身がお金であることがすぐに想像できた。
「私からの餞別だ、中に500Gほど入っている、それで何とかやっていくんだな」
コーヴァーは告げるや否や、踵を返して演説に聞きほれていた観衆の中に、あっさりと溶け込んでいって、探しようがなくなった。やがてその観衆も演説が終わったとなると徐々に散会し、別々のベクトルで再び歓楽街を沸かせはじめた。
コーヴァーが去って数分、僕はその場に立ち尽くしていたが、その間ずっと光子の事を思い出していて、最後にラブホテルで交わした情事を反芻して少しだけ勃っていた。

*1:自販機もあれば、無論時計なんかは存在する