うそwizardry日記4

僕はケンカらしいケンカをほとんどしたことないが、22年間の記憶の中に残っている回数を絞り出すように勘定するなら、都合3回ほど、ある。
1回は、小学校4年生のとき。上級生からの執拗ないじめにあっていた僕は、その清掃時間にたけぼうきを持って、上級生のうちの1人がプール脇の植え込みでサボっているのを襲撃した。たけぼうきは上級生の前歯を折り、喉に出血を負わせた。僕の方はといえば、怪我らしい怪我はひとつもなかった。後で両親や担任から注意は受けたが、今となっては結果的に良かったと思っている。それからは、いじめの類を受けることはなくなった。なにより、自分に自信を持てるようになった。
もう2回は、いずれも中学生のときだ。気がついたら、隣の中学校同士の抗争に巻き込まれていた。よく分からないうちに知り合いのヤンキーに借り出され、よく分からないうちに川原で数十人ものが殴りあっていて、よく分からないうちに誰かに殴られ、よく分からない僕はよく知らない誰かを何回か殴った。もう1回も、具体的には違うが、大体同じだ。知らない誰かに殴られた僕は、もうケンカはやめよう、と思った。痛いのは勘弁だ。

3回中2回が、よく分からないうちに巻き込まれている。僕は自分の意思を明確に相手に伝えなかったがために、そんな"め"に会っていた。社会人になってからは自分の意見―意思、考えを先ず伝えることに努めた。痛い思いをするのがいやだったから。
「よく分からないうちに―」そう、今日が記念すべき人生3回目なのだ(多少の事情の入れ違いがあったが)。しかも、異世界で、の。痛い思いは、もうみぞおちが知っていた。

砂利道を歩く僕の数歩前には、例の甲冑男が居る。西日が鎧を照らしているが、目に突き刺さるほどではない。とぼとぼ、という擬音をつれて歩く僕は、つい先刻の非常識なやり取りを反芻していた。

「ではサキモリ殿、コーヴァー殿、採決を」
デウッグが言う。僕は3人の前で、何も言うことができなかった。というか、何を言えばいいのか分からなかった。いいのか、では語弊がありそうだ。そうだ、いいのか、じゃない。「通用するか」、だ。もはや彼らに僕の常識は通用しない。僕は、異世界からの旅人なのだから。
「満場一致、ということで」
3人が挙げていた手をすっと降ろすと、コーヴァーと呼ばれた例の甲冑男が僕の前に立ちふさがり、腰を上げるよう促した。
「ようこそ、我らがトレボー*1の城塞へ」
「トレ…?」
じゃり、と甲冑の擦れる音がすると、持ち主が僕に部屋を出るよう促した。
「君はこれから訓練所へ行って冒険者の登録をしてもらう」
「何のことだか、さっぱり分からない。というか、これ拉致じゃないのか。弁護士を呼べ」
トン、と押され豪華絢爛な部屋から一気に質素な廊下へと追いやられた。ドアがパタンと閉まる音と共に一抹の風が吹いた。冷たい風だ。
風。その風が、この世界に来て初めて僕に、ここがもう日本とか、そういう世界じゃないことを告げてきた。なぜ気がつかなかったんだろう、僕は"ここ"に来てしまったのだ。何を言っても彼らに通じないのは当然のことだ。彼らは僕らの世界を知らない。どちらの世界を知っているのは、多分僕だけなのだから*2
「どうした、顔色が悪いようだが」
コーヴァーが僕の顔を覗き込む。異様に、背後が冷たくなっていくのを感じた。そして、もう元の世界には帰れないということを直感的に悟った。残りの人生を、この世界で過ごさなくてはならないという強迫観念に押され、僕は吐いた。

「ええっと…秋本ハジメ?変な名前ですね」
「ほっといてください」
街から歩いて15分ほどの街外れ、訓練所と呼ばれたローマのコロッセウムに似ている施設*3の一角で、僕は"冒険者"とやらの登録をした。名前、性別、年齢、前歴、趣味、星座、愛読書などを記入して、病院のロビーのような10畳ほどの薄暗い部屋で、綿の飛び出た椅子に腰を下ろした。目の前の受付では先ほど僕の名前を問うた小太りの20代後半くらいの男が書類にハンコを押したりコピー*4をしている。しばらく時間がかかりそうだ。
「事情を説明しよう」
コーヴァーが湯気の立つカップを2つ持ち、片方を僕に差し出した。会釈をし受け取ると、彼は僕の横の席に腰を下ろした。
「君は異世界の住人ということは、君自身が、よく知っていることだと思う」
はい、と答えた。というか、選択肢は他にはない。少しだけすすると、苦いコーヒーの味がする*5
「君には、レベル1098の、例のメイジの力がコピーされ、備わっている可能性がある。デウッグ卿が、その可能性を示唆した」
「よく分からないんですが…僕にはすごい力があるってことですか?」
ふふ、とコーヴァーの口の端がほころぶ。
「まあ、そういうことだ。君には申し訳ないが、前線で戦ってもらおうと思う、勿論危険な目に合わせるつもりはない。後方で敵に向かって強力な呪文を放ってくれるだけで良い。前例のない異世界からの客人だ、危険な目にあわせるわけにはいかない」
すごい力、ときいて僕は少しだけ、いい気になった。強力な、呪文?それで、敵を蹴散らすというわけか。アニメのように、手から巨大なビームを放ち悪の魔人とかなぎ倒すのだろうか?
これはもしかして、チャンスなのかもしれない。思えば会社勤めの2年、ほとんど良いことがなかった。通勤電車ではすし詰めで痴漢に間違われ、会社では上司にいびられ、営業では親会社にバカにされ、会議では役立たず呼ばわり、恋人との関係も冷め切っていると来たもんだ。でも、こっちの世界ではどうだ。"レベル1098"ときている。おそらくドラゴンとかも指からエネルギー弾出すだけで消滅とか、そんなレベルだろう。そうなれば魔王とかもたけぼうきで上級生をKOしたときのようにちょろいものなのかも知れないな。多分そうだろう。そうなれば、僕はきっとこの世界で英雄になるな。そうなればお姫様とかを自分のものにすることだってできるだろう。次期王様、とかも夢じゃないわけだ。なんだ、この世界は僕の居た世界よりも、よっぽど充実しているじゃないか!最高だ!ビバ英雄!ビバレベル1098!!

「え〜っと…あ…」
妄想にふける僕に、受付の男が声をかける。はい!と最高の笑顔で返事をする。

「『あ』さんですね。あなたはレベル1、戦士です。冒険者としての活躍、期待してます」

*1:通称、狂王らしい。どいつもこいつも狂っている。

*2:運悪く僕をテレポートさせたメイジとやらが生きていれば、2人になるだろうけど。

*3:他にもジムやプール、露天風呂にサウナに卓球台、ゲームコーナーもある。置いてあるゲームは「ウィズボール」という野球に似たゲームらしい。

*4:コピー機がある。サラリーマン的にはここはベンリな世界かもしれない。

*5:部屋の隅に自販機がある。この世界ではコーヒーも自販機で楽しむことができる都合のいい世界のようだ。