うそ世界樹の迷宮3

  • 臆病者は本当に死ぬまでに幾度も死ぬが、勇者は一度しか死を経験しない。

ジャインが起き上がった頃には、小競り合いが起きていた。さっきの白い物体は少年のような形になって―いや、本当に少年だったのだが―飛んできた方、ちょうど酒場の一番奥ばった席に向かいなにやら罵声を浴びせている。彼の表情は怒り満面といったところだろう。転がった椅子を肘掛にしてボーっとその様子を見ていると、ジャインの元へキュービィが駆け寄った。
「大丈夫?」
「今日はもう何があっても驚かないぞ」
なに言ってんの、とキュービィが転がったジャインの手を引く。ぐっと、満杯の麦袋よりも重い負荷がキュービィの肩を襲った。重い。図体もでかくなったが、体重も増えてるんだ。キュービィの中で、ジャインの情報がめまぐるしく更新されていく。本当に、ほんのちょっと見ない間に、男らしくなって―
「―どうも、雲行きが怪しいみたいだよ、彼」
え?とキュービィが振り返ると、先ほどの白衣の少年が、今度は大男に胸倉を掴まれている。先ほどの威勢はどこへやら、おっかなびっくりという表情で大男に睨まれていた。
「坊主、冒険者を舐めんのもいい加減にしな。せっかく俺たち『黒のフェンリル』ギルドの誘いを断った上に、ああまでも馬鹿にするとはな!」
大男は少年の2倍もあろうかという背丈で、薄手の皮鎧から露出している筋肉は戦士そのものといった感じだ。ジャインは、その大男が冒険者の中で「ソードマン」と呼ばれる部類だということに気づいたのだが、腰にぶら下げているのは手斧なのに、ソードマンと呼んでいいのか、などとという事をぼんやりと考えていた。
どうやら、しこたま頭をぶつけていたらしいが、彼がそれに気づくのはどうせ今夜の宿の事である。なにしろ後頭部にでかい「こぶ」ができているのだが、今は酒場中の注目はこの「オトナとコドモのケンカ」に集まっていたのだから。
「う…うるせいやい!あんただって、俺の事をチビだの生意気だの、果てにゃ『サブパーティのさぶメンバー』とかゲイ扱いしやがったじゃないか!」
「どアホ!そこまで言ってねーよ!」
血を伝う口元を白衣の袖で拭うと、少年は周りを目の動きだけで見回した。そして、はっきり不敵な笑みを浮かべるのを、キュービィは見逃さなかった。
「そうさ…このソードマンの大男は、か弱い僕に向かって『へっへっへ、俺の自家製ソードをお前のエリアキュアで癒してくれ…』とか言ってきて迫ってきたんだよ…僕、怖くて怖くて…」
少年は、この場にいる全ての人に聞こえるくらい、それはそれは大きな声で―顔は悲痛な面持ちだ―語り始めた。周りのギャラリーがざわめく。大男は、明らかに焦り始めている。
「ば、馬鹿野郎、でまかせを」
「ひどいよ!僕をあんなにめちゃくちゃにしたのに、『でまかせ』だなんて!大人なんて嫌いだ!」
周りの何人かの客が、大男に罵声を浴びせる。やれ「冒険者の屑」だのやれ「この街から出て行け」だの。教育上よろしくない言葉もそれはそれは。
キュービィとジャインは、その様子をぽかんと見ていた。何故なら、まるで劇の一幕みたいに、彼が思い通りに事を進めているのが分かったから。仕上げと言わんばかりに、少年は再び、ある事ない事を恨み節に乗せて語り始める。大男がキレるのは、当然の成り行きだった。
「我慢ならねえ!もう一発ぶんってやる!」
拳骨が飛ぶかと思った刹那、酒場中が揺れるかと思うくらいの一声が響き渡る。女将だ。皆が一斉に、彼女のいるカウンターに振り返った。
冒険者同士の、多少のケンカは許すけどね…あんたがやってるのはまるで弱いものいじめじゃない!?恥ってもの知りなさいよ?」
女将さんの力は偉大だ。ここにいる全ての客は、この大男の敵となった。まるでシュプレヒコールの様な声の渦の中、大男は―しかも半泣きで―すごすごと逃げ帰っていくにはさほど時間が掛からなかった。

「君、なかなかの立ち回りだったじゃない」
「…あいつだって悪いんだぜ、メディックだからって、馬鹿にしやがって…」
落ち着きを取り戻した酒場の奥で、キュービィとジャインは少年と3人で囲んでいた。キュービィが、どうしても彼と話がしたい、というのでジャインは(初対面の人間と気軽に話せるような性格ではないので)半ばいやいやその場にいた。当のジャインは先ほどのぼんやりは消えたが、まだ頭痛がすると訴えている。ちなみに、少年とはまだ1回も目を合わせられていない。
「俺はあんなゴロツキどもとは違う。将来、英雄って呼ばれるギルドに入って、活躍がしたいんだ。迷宮の2、3階そこらで日銭稼いで、酒ばっかり飲んでるような奴らとつるむなんて、まっぴらゴメンさ」
彼もまたこれから迷宮を目指す冒険者の1人なのだろう、その目には輝きを湛えている。キュービィもジャインも、彼の言うことには概ね同意だ。やはり、これから一緒に冒険をするんだったら、信頼できる素晴らしい人たちがいいと。苦楽を共にして、喜びを分かち合えるような冒険者がいいと。

「…アル」
急な声に3人とも不意を突かれた。何しろ音も無く、突然女性の声がしたのだ。キュービィもジャインも、人が近寄る気配をなんら感じることができなかった。
「あ……ね、姉ちゃん……」
そして一番驚いた―というか、戦慄に凍ったのは、名を呼ばれた彼…アルフェッノ自身だったであろう。「姉ちゃん」と呼ばれた女性の眼は冷たく彼を見下ろしていた。

アルフェッノ…メディック♂(2)
15歳。
通称「アル」。気は強いが、ケンカは弱い。
特技は話術。自分の周りの場を盛り上がらせる、ムードメーカー的なところもある。


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